こんにちは!バス旅ねっと営業担当たけちゃんです。
皆さんは、学生時代に日本史は好きでしたか。
学生の頃は嫌いでも、大河ドラマや時代劇などを通して、大人になってから歴史に興味を持つ方も多いと思います。
今回は、そんな歴史好きにはたまらない聖地巡りの紹介。
大阪のお隣「和歌山県」には、日本の歴史に大きく関わった人物にまつわるスポットがいくつかあります。
あまり歴史は詳しくないという方でも楽しめるように、こちらの記事で魅力をわかりやすく紹介しているので、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
Contents
モデルコース紹介
大阪~阪神高速道路~堺IC~高野街道~紀見トンネル~九度山町・真田庵~慈尊院…丹生官省符神社~高野山道路~高野山・大門~金剛峯寺…壇上伽藍(不動堂・根本大塔・金塔・御影堂)~刈萱堂~中の橋…奥の院参道…奥の院(燈籠堂・納骨堂・経堂・弘法大師御廟)…中の橋~高野
大阪から和歌山県の北部、九度山町と高野山をめぐります。
とても近い距離に位置する2つの場所ですが、どちらも日本の歴史に関するスポット。
九度山町は戦国武将の「真田幸村」、「高野山」は日本仏教の聖地といわれています。
大阪から気軽にアクセスできるスポットで、日本の歴史を満喫できるコースです。
真田幸村にゆかりのある和歌山県・九度山町の魅力
歴史の好き嫌いに関わらず、「真田幸村」という名前を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、戦いのうまさから「日本一の兵(つわもの)」ともいわれていました。
そんな真田幸村ゆかりの場所が、和歌山県北部に位置する「九度山町」です。
幸村は、元々信濃(現在の長野県)にいた武将ですが、関ヶ原の戦いで敗れた後、高野山に蟄居(ちっきょ)するように命じられ、今の和歌山県九度山町の地に身を移しました。
今も真田家ゆかりの施設がいくつかあり、九度山町を訪れれば幸村のことをもっと知れるかもしれません。
さらに、九度山町には世界遺産に登録されている施設もあり、高野山を観光するうえでも外せない場所です。
真田家の屋敷跡に建てられた【真田庵】
九度山町の真田幸村ゆかりの場所をめぐるうえで「真田庵」は外せません。
善名称院とも呼ばれますが、かつて真田幸村と父・昌幸が生活を送っていた屋敷の跡地に建てられたお寺です。
お寺の入り口にある大門には真田家の象徴「六文銭」が刻まれ、真田昌幸を神様として祀っている「真田地主大権現」など、境内には真田親子にまつわる施設がいくつかあります。
雷封じの井
真田庵の境内にある、大きな石で蓋をした井戸。
これは、真田幸村が屋敷に落ちた雷を封じ込めたという伝説の残る井戸で「雷封じの井」と呼ばれています。
雷を封じ込めるという普通では考えられない話ですが、日本全国に名を轟かせた真田幸村なら、本当にできたのかもしれませんね。
雷が出てきてしまうので、井戸の蓋は絶対に開けてはダメですよ。
真田宝物資料館
「真田宝物資料館」は、真田庵の境内にある真田親子ゆかりの品が展示されている施設です。
幸村が愛用していた刀や鎧、直筆の書、真田庵を建てた大安上人に関するものも展示しています。
その中でも、「真田紐」は幸村がここで何をしていたかを知ることができる品です。
蟄居を命じられた真田親子は、この真田紐を機で織って生計を立てていたといいます。
その丈夫な作りは、武器などにも使用されたほか、今のガムテープやビニール紐のような物を固定する道具としても使われていました。
<施設情報>
施設名 :真田庵
住所 :和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
電話番号:0736-54-2218
サイト :http://www.kudoyama-kanko.jp/midokoro/spot01.html
高野山の要所として役割を果たした【慈尊院】
日本仏教の聖地として知られる「高野山」の玄関口としての役割も果たしていた九度山町。
中でも、高野山の開祖「弘法大師」が創建した「慈尊院」は、高野山の表玄関として要所の役割を果たしていた場所です。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されています。
女性にご利益のあるお寺
高野山は、かつては女人禁制の場所でした。
弘法大師の母が息子を訪れて高野山にやってきましたが、我が子といえど高野山には入れません。
そこで、玄関口でもある慈尊院で母は暮らし、慈尊院は「女人高野」とも呼ばれるようになりました。
今も女性にご利益があるとして人気のお寺で、全国的に見ても珍しい乳房型の絵馬も特徴的です。
子授けや安産、縁結びなどにご利益があるといいます。
<施設情報>
施設名 :慈尊院
住所 :和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
電話番号:0736-54-2214
サイト :http://jison-in.org/
高野山に拝めない女性のための【丹生官省符神社】
慈尊院から続く石段を登った先にある「丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社」は、弘法大師が創建した神社です。
こちらも世界遺産に登録されていて、本殿は国の重要文化財にも指定されています。
神様として祀られているのは、九度山町にゆかりのある丹生都比売(にふつひめ)・高野御子の2人の神様。
高野御子は、白と黒の2頭の犬を放って、弘法大師を高野山に導いたといわれています。
安産や縁結びにご利益のある神社
女人禁制だった高野山を拝みたい女性は、この丹生官省符神社から高野山を拝んでいたといわれています。
女性が多く訪れていたこの神社は、女性に嬉しいご利益も。
神様の使いでもある白と黒の犬は、安産や縁結びのご利益がある神様です。
<施設情報>
施設名 :丹生官省符神社
住所 :和歌山県伊都郡九度山町慈尊院835
電話番号:0736-54-2754
サイト :http://niujinja.sakura.ne.jp/
日本仏教の聖地【高野山】の二大聖地とは
平安時代、弘法大師(空海)によって開かれた「高野山」は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている日本仏教の聖地です。
高野山には「一山境内地」という考え方があり、これは山全体がお寺という意味。
高野山という大きなお寺の中に、いわば子供のお寺として117の寺院があり、その総本山は「金剛峯寺」です。
ちなみに、「総本山金剛峯寺」という場合は、高野山全体のことを指し、少し意味も変わっていきます。
そんな高野山には見どころがたくさんありますが、中でもオススメなのが「二大聖地」と呼ばれるスポットです。
高野山の総本堂もある【壇上伽藍】
高野山の二大聖地の1つ「壇上伽藍(がらん)」は、弘法大師が真っ先に造営した場所です。
高野山の総本堂でもある「金堂」をはじめ、19の建物が立ち並び、その建物は、弘法大師のもつ密教思想の曼荼羅の世界観を表しているといわれています。
この壇上伽藍を参拝する際の正しい参拝順序が決まっており、「中門・金堂・登天の松と杓子の芝・六角経蔵・御社・山王院・西塔・孔雀堂・逆指しの藤・准胝堂・御影堂・三鈷の松・大塔・対面桜・大塔の鐘 高野四郎・愛染堂・不動堂・勧学院・蓮池・大会堂・三昧堂・東塔・智泉廟・蛇腹道・六時の鐘」の順です。
そんな壇上伽藍の見どころの一部を紹介します。
金堂
壇上伽藍の中央に位置する「金堂」は、高野山の総本堂です。
高野山の長い歴史の中で常に重要な役割を果たしてきた場所で、重要な行事のほとんどがこの金堂で執り行われます。
金堂は内部を拝観することも可能。
明治から昭和にかけて活躍した画家の木村武山が描いた壁画や、仏師の高村光雲が造立した薬師如来像などを見ることができます。
根本大塔
高さ48.5mある「大塔(根本大塔とも呼ぶ)」は、高野山のシンボルとして816年から887年ごろに完成したとされる塔です。
仏塔の形式の1つの「多宝塔」として日本で最初に建てられました。
鮮やかな朱塗りが美しい根本大塔の内部は、弘法大師の曼荼羅の世界観を立体的に表しています。
不動堂
国宝にも登録されている「不動堂」は、1198年に行勝上人によって創建された建物です。
4つの角がそれぞれちがう形をしているのが特徴的ですが、これは4人の匠が作ったからだといわれています。
かなり歴史を感じる現在の建物は、1300年代前半に再建されたものです。
御影堂
かつて弘法大師が住んでいたといわれている「御影堂」。
現在は、弘法大師の御影を安置しており、壇上伽藍にある建物の中でも1番重要な場所です。
普段は限られた人しか入ることのできない場所ですが、1年に1回だけ、旧暦の3月21日に執り行われる行事「旧正御影供」の前夜に参拝することができます。
<施設情報>
施設名 :壇上伽藍
住所 :和歌山県伊都郡高野町高野山132
電話番号:0736-56-2011
サイト :https://www.koyasan.or.jp
樹齢数百年を超える杉が立ち並ぶ【奥の院】
高野山の二大聖地の1つ「奥の院」は、高野山信仰の中心的場所です。
約2km続く参道の周りには、約1,300本もの大きな杉が立ち並び、中には樹齢700年を超えるものもあります。
日本仏教の聖地として、どこも厳かな雰囲気に包まれている高野山ですが、その中でも別格なのが奥の院です。
20万基を超える供養塔が並んでおり、一歩踏み入れると身が引き締まる思いになります。
ほぼ毎日開催されている、奥の院のナイトツアーもオススメ。
高野山在住の金剛峯寺境内案内人によるガイドを聞きながら、夜の奥の院を歩きます。
昼間とはちがう、幻想的な奥の院を見ることができ、運が良ければムササビやフクロウに出会えるかもしれませんよ。
そんな奥の院の見どころを紹介します。
弘法大師御廟
奥の院の1番奥に位置する「弘法大師御廟」。
御廟とは、霊を祀る建物のことで、高野山を開いた弘法大師が祀られています。
弘法大師は、この御廟で今も生きていると信じられており、多くの参拝客が訪れる場所です。
なぜ、1200年前の人物の弘法大師が今も生きてると信じられているのか。
弘法大師の密教には「入定(にゅうじょう)」という生きながら永遠の瞑想に入る修行方法があります。
弘法大師は835年の3月21日に入定したといわれており、それから約1200年、御廟の中で修行をし続けているので、今も生きているという信仰になるわけです。
燈籠堂
「燈籠堂」は、弘法大師のいる御廟を礼拝するためのお堂です。
ここには、2つの「消えずの火」があり、1000年も燃え続けているといわれています。
1つは、高野山の復興に大きく関わった祈親上人の「祈親灯」。
もう1つが、第72代天皇の白河上皇が献じた「白河灯」です。
燈籠堂では、毎日朝6時と10時半の2回、「生身供(しょうじんく)」という行事を見ることができます。
生身供とは、御廟にいる弘法大師に食事を運ぶ儀式のことです。
弘法大師が入定してから約1200年、毎日欠かすことなく食事を届けています。
届けられる食事は精進料理ですが、和食だけでなくカレーやコロッケ、ドラゴンフルーツなども弘法大師は食べるそうです。
生身供を見学する際は、撮影禁止や私語厳禁など、いくつかのルールがあるので注意しましょう。
御廟橋
奥の院の参道には3つの橋がありますが、その最後にあるのが「御廟橋」です。
この御廟橋から先は聖域なので、一度服装を正し、礼拝してから橋を渡るのが正しい参拝作法になります。
<施設情報>
施設名 :奥の院
住所 :和歌山県伊都郡高野町高野山132
電話番号:0736-56-2002
サイト :https://www.koyasan.or.jp
貸切バスで和歌山県に歴史を楽しむ旅へ
歴史が好きな方も、そうでない方も楽しめる和歌山県の九度山町と高野山。
高野山までは山道を進むことになりますが、運転のいらない貸切バスを利用すれば、大変な思いをする必要がありません。
もし、歴史が好きなメンバーで旅行をするなら、移動中に貸切バスについているマイクを使ってクイズ大会をするのもいいですね。
大阪から九度山町・高野山を訪れる旅は、ぜひ貸切バスを利用してみてはいかがでしょうか。